合気道の真髄を探る旅路:なぜ私は“実戦”を選んだのか? 覇天会 藤崎天敬師範インタビュー【第三部】

合気道――その流麗な動きの奥には、何が隠されているのか? 多くの人が抱くであろう、優雅で精神的な武道のイメージ。しかし、その実像は一つではない。伝統派合気道と、実戦性を追求する合気道の双方に深く精通する合気道覇天会・筆頭師範、藤崎天敬氏。第三部では、同氏が長年信奉した伝統の道に疑問を抱き、実戦の道へと踏み出すに至った衝撃的な原体験、そしてその過程で見出した合気道の真の有効性と奥深さに迫る。伝統と実戦、二つの道を知る者だからこそ語れる、合気道の核心に触れる証言。

「なぜ、あの技が出なかったのか?」― 路上での遭遇が揺るがした信念

藤崎師範: 10年間、文字通り心血を注いできた伝統派合気道の技が、いざという時、全く機能しなかったのです。町中で予期せず人に絡まれ、胸ぐらを掴まれた瞬間、私の体が咄嗟に繰り出したのは、わずか3年しか学ばず、しかも何年も前に辞めていたはずの柔道の技でした。

この出来事は、藤崎師範にとって単なる失敗ではなく、自身の武道の根幹を揺るがすほどの衝撃でした。

藤崎師範: なぜ、長年稽古を重ねた合気道ではなく、経験の浅い柔道の技が身体を動かしたのか? 深く自問自答を繰り返す中で、一つの結論に達しました。それは、組手や試合といった「実戦形式の稽古」の有無ではないか、と。伝統派の稽古は、定められた型を反復し練度を高めることが中心です。もちろん、それ自体に大きな価値はあります。しかし、予測不能な相手の攻撃に対応するという実戦を想定した訓練が、当時の私には決定的に不足していたのではないか。この痛切な気づきこそが、私を実戦合気道の世界へと導く大きな転換点となったのです。

伝統派合気道の美と価値:文化と実用の間で

藤崎師範は、伝統派合気道が持つ文化的な価値を深く尊重しています。

藤崎師範: 伝統派合気道の演武は、息をのむほど素晴らしい。流れるような動きは芸術の域に達しており、日本の誇るべき伝統文化の一つだと確信しています。私自身も演武を見るのは好きで、主要な演武会には足を運びます。洗練された一挙手一投足に、長年培われた合気道の精神性と美学が凝縮されているのを感じます。

しかし、その文化的価値を認めつつも、護身術という実用的な側面から見ると、異なる視点が必要だと指摘します。

藤崎師範: 演武が持つ文化的価値は計り知れません。ですが、「自分の身を守る」「相手の攻撃に対処する」という現実的な局面を想定した場合、どうしても組手という実戦的な稽古が不可欠になります。なぜなら、演武と組手は、ある意味で対極の性質を持つからです。演武が「決められた形を美しく再現する」ことを目指すのに対し、組手は「予測不能な相手の動きに対し、瞬時に最適解を見つけ出し、実行する」能力を要求します。この二つは、似て非なるものなのです。

「使える」はずの基本技が通用しない現実

伝統派で基本とされ、「実戦でも使える」と教えられてきた技が、組手という生きた攻防の中では、必ずしも有効ではなかったという経験も、藤崎師範の実戦への傾倒を加速させました。

藤崎師範: 伝統派で基本中の基本とされる一教表や四方投げ。確かに理に適い、形としても美しい。しかし、いざ組手で試すと、驚くほど使いにくい場面があることに気づきました。例えば一教表は、上からの打ち込みなどには有効ですが、相手がしっかりと腰を落とし、体勢を固めて抵抗してきた場合、技を完遂するのは容易ではありません。四方投げも、技の過程で相手に背を向ける瞬間があり、そこを突かれて反撃されたり、体勢を立て直されたりするリスクが伴います。演武では流れるように決まるこれらの技も、抵抗し、反撃してくる生身の相手に対しては、そのままでは通用しない。その現実を、私は身をもって知りました。

合気道の有効性:神話と誤解を超えて

世間には、合気道の有効性について、時に極端な意見が見られます。

藤崎師範: 合気道の有効性については、肯定・否定、様々な意見がありますが、どちらも一面的な見方にとどまっていると感じます。肯定派が時に語るような「触れただけで相手が魔法のように吹き飛ぶ」というのは、演武における演出や、受け手の協力があってこそ成り立つ表現であり、実際の組手や護身の場面でそのまま起こることは、まずありません。しかし、逆に否定派が主張するように「合気道は全く通用しない」というのも、また真実ではありません。

藤崎師範: 一流の師範による演武には、確かに見る者を惹きつける力、ある種の「魔力」があります。洗練された動きと理合が生み出す効果は、あたかも超常的な力が働いているかのような錯覚を与えることさえあります。その「幻想」から距離を置き、合気道の「現実」を見極めるのは、容易ではないかもしれません。しかし、最も重要なのは、演武という舞台上の表現ではなく、組手や試合といった実戦形式を通して、合気道のリアルな有効性を理解することです。組手では、相手も必死で抵抗し、攻めてきます。その中で、合気道の体捌き、関節技、投げ技をいかに駆使し、相手の力をいなし、バランスを崩し、制圧するか。そこには、間違いなく有効な技術が存在します。ただし、それは魔法ではなく、長年の鍛錬と、実戦的な稽古によってのみ血肉となる、リアルな技術なのです。

理想の体現者:スティーブン・セガールへの憧憬

藤崎師範が描く理想の合気道家像は明確です。

藤崎師範: 私が理想とするのは、スティーブン・セガール氏が見せる合気道です。彼の映画で見られる、大柄な体格から繰り出される重厚かつ鋭い動き、そして洗練された実戦的な技。あの圧倒的な存在感と迫力は、私が目指す合気道の一つの理想形と言えます。

武道の深淵:「生きた経験」なくして理解なし

藤崎師範は、武道を外から見ることと、実際に稽古を通して内側から理解することの間には、大きな隔たりがあると語ります。

藤崎師範: 武道の「生きた経験」がないと、例えば柔道はただ組み合って押し合っているだけ、フルコンタクト空手はただ腹を殴り合っているだけ、そして合気道の試合は単に手首を取り合っているだけに見えてしまうかもしれません。しかし、これらは表面しか見ていないことによる大きな誤解です。それぞれの武道には、長年の研鑽によって培われた、極めて高度で緻密な攻防の技術と駆け引きが存在します。 柔道におけるミリ単位の重心移動や相手の力を利用する巧妙さ。フルコンタクト空手における一瞬の隙を突く打撃の精度と、それを可能にする強靭な肉体。そして、合気道の組手における、手首の接触を起点とした、相手の意図を読む繊細な感覚、力の流れの制御、体捌きと関節技の連携といった高度な技術。 これらの奥深さは、実際に稽古に身を投じ、汗を流し、時には痛みを感じる中で「生きた知識」として体得しなければ、真に理解することはできません。見た目だけで判断してしまうのは、その武道が持つ本質を見誤ることに繋がります。

実戦合気道との邂逅:常識が覆された瞬間

伝統派への疑問を抱いた藤崎師範は、ついに実戦合気道の門を叩きます。そこで目の当たりにしたのは、想像を絶する稽古風景でした。

藤崎師範: 実戦合気道の組手を初めて経験した時の衝撃は忘れられません。「合気道の技は危険すぎて組手では使えない、使えば相手が死ぬか大怪我をする」と、それまで固く信じていました。しかし、実際にやってみると、危険どころか、教わってきた基本技が、そもそも相手にかからないのです。有効だと信じていた一教表や四方投げは驚くほど使いにくく、むしろ肘締めや腕絡みといった、より直接的に関節を制する技が効果的でした。 これは、良い意味での裏切りでした。組手とは、私にとってエベレスト登頂のような、途方もなく危険で困難な挑戦だと思い込んでいた。しかし、実際に足を踏み入れてみると、意外にも、近所の公園を散歩するような感覚で(もちろん、時には獰猛な番犬に遭遇するような厳しい局面もありましたが笑)、安全かつ奥深い攻防がそこにはありました。 柔道の経験があったにも関わらず、合気道の組手の専門性の高さには改めて驚かされました。単なる力比べや手首の取り合いではない。そこには、独特の読み合い、間合い、力の流し方、技の連携といった、合気道ならではの緻密な技術体系が存在したのです。当初は映像を見ても何が起きているのか理解できなかった攻防の意味が、自身が組手の中で試行錯誤を繰り返すうちに、少しずつ、しかし確実に理解できるようになりました。一見地味に見える動きの中に、凝縮された実戦的な意味が込められているのです。

上達への最短ルート:「組手」が合気道を変える

そして藤崎師範は、実戦的な稽古、特に組手の重要性を確信を持って語ります。

藤崎師範: **断言しますが、組手に真剣に取り組めば、合気道の上達速度は劇的に変わります。技が「使える」レベルになるまでの時間は、10年、20年といった歳月ではなく、その数分の一に短縮される可能性すらある。**もちろん、「使える」ことと、その技を「極める」ことの間には大きな隔たりがあり、合気道の深遠なる道を極めるには、やはり長い時間が必要です。しかし、組手を通して、生きた相手と実際に相対し、技を試し、失敗し、修正するというプロセスを経ることで、技の理解度は比較にならないほど深まり、状況に応じた応用力は格段に向上します。これは間違いありません。実戦合気道は、洗練された技術と体捌きによって護身術として高い有効性を持つと同時に、組手で培われる瞬発力や判断力は、格闘技としてのポテンシャルも秘めているのです。

これから合気道を志すあなたへ

最後に、合気道の門を叩こうと考えている人々へ、藤崎師範から温かいメッセージが寄せられました。

藤崎師範: 合気道は、年齢、性別、体力に関わらず、誰もが自分のペースで始めることができる素晴らしい武道です。合気道覇天会では、経験の有無を問わず、すべての方を歓迎します。合気道の持つ奥深さ、そして組手を通して得られる実践的な学びと成長は、きっとあなたの人生に新たな視点と豊かさをもたらしてくれるはずです。もし少しでも興味をお持ちでしたら、ぜひ一歩踏み出す勇気を持って、覇天会の稽古を覗きに来てください。 私たちは、伝統的な合気道の精神性を尊重しながら、実戦的な組手にも真摯に取り組んでいます。合気道の新たな可能性に触れたい方、本当に役立つ護身術を身につけたい方、そして武道の真髄に迫りたいと願う方、私たちはいつでもお待ちしています。

【第三部 了】

編集後記: 第三部では、藤崎師範自身の衝撃的な体験から始まる、伝統から実戦への個人的な旅路が赤裸々に語られた。単なる技術論ではなく、一人の武道家が直面した葛藤、探求、そして発見のプロセスが描かれることで、合気道の有効性や稽古法の意義が、より深く、説得力を持って読者に伝わってくる。実戦を知るからこそ語れる言葉には重みがあり、合気道の多様な側面と可能性を改めて考えさせられる内容となった。