なぜ覇天会は「速さ」を追求するのか? – 実践的な理由と自己成長の道
覇天会の稽古、特に高度なレベルである「掌握の境地」(アブソリュートコントロール)において、相手を「素早く」そして「確実に」制圧することを目指しています。「なぜ、それほど速さにこだわる必要があるのだろう?」――そう思われる方もいらっしゃるかもしれません。
まず、武道としての「実践的な理由」があります。
護身や、万が一争いを収めなければならない状況を想像してみてください。相手と対峙している時間が長引けば長引くほど、予期せぬ第三者が介入してきたり、相手が武器を取り出したり、あるいは自分自身や相手がさらなる怪我を負うリスクなど、不測の事態が起こる可能性は高まります。ですから、武道の実践においては、可能な限り短い時間で、安全かつ確実に状況をコントロール下に置くことが、極めて重要になります。つまり、「速さ」は、実用的な有効性と安全性に直結しているのです。
しかし、覇天会が速さを重視する理由は、それだけではありません。
この実践的な有効性を確保した上で、さらに「速さ」を追求することは、心と技を高いレベルで磨き上げ、自己を成長させるための重要なプロセスだと考えているからです。これは、武道で大切にされる**「正勝吾勝勝速日」(まさかつ あがつ かつはやひ)**という考え方にも繋がっています。
「正勝吾勝勝速日」とは? (※これは「自分をコントロールできれば(吾勝)、正しい方法で(正勝)、結果は自然と速やかに(勝速日)ついてくる」という考え方です。)
「速さの追求」が「自己成長」に繋がる理由
速さは「正しい動き(正勝)」を求めるから 武道における本当の速さは、力任せの動きからは生まれません。体の仕組みに合った、**無駄のない、最も効率的な動き(=正しい動き)**を突き詰めた先にあります。「速さ」を目標にすることで、ごまかしの効かない技術の正確さ、合理性を徹底的に磨くことになります。
速さは「自分をコントロールする(吾勝)」訓練になるから 瞬時の判断と行動が求められる状況で、速く、かつ正確に動くためには、冷静さ、集中力、そして迷いのない決断力が不可欠です。これは、まさに「自分自身をコントロールできている状態(吾勝)」です。「速さ」という目標への挑戦は、プレッシャーの中で心を整え、精神的な強さを養うための実践的な訓練となります。
速さは「より高いレベル(勝速日的な状態)」を目指すプロセスだから 「勝速日」が示すような、自然で淀みない、理想的な状態。これに近づくためには、現実の稽古の中で、**「より無駄なく、より効率的に、より速やかに」**動けるようになることを目指すのが一つの道です。速さの追求は、常に上を目指し、自己の限界を超えようとする姿勢そのものです。
まとめ:速さは、心と技を磨いた結果
このように、覇天会で「速さ」を重視するのは、実践的な有効性に加え、それが心を鍛え(吾勝の実践)、技を磨き(正勝の実践)、より高いレベル(勝速日的な状態)へと自己を成長させるための重要な手段だと考えているからです。その速さには、具体的な技術と、それを支える心の鍛錬、そして常に上を目指す姿勢が反映されています。
速さの追求と武道の理念は矛盾しない? – 覇天会「掌握の境地」(アブソリュートコントロール)と「正勝吾勝勝速日」の深い関係
覇天会の「掌握の境地」(アブソリュートコントロール)では、相手を素早く、確実に制圧することを目指します。これに対して、「そんなに速さを求めて、武道の『争わない』『自然体』といった深い考え方と矛盾しないのだろうか?」と感じる方もいらっしゃるかもしれません。
特に、合気道の理想とされる「正勝吾勝勝速日」(まさかつ あがつ かつはやひ)――つまり「自分に打ち克ち(吾勝)、正しくあれば(正勝)、勝利は自然と速やかにやってくる(勝速日)」という考え方と、一見すると違う方向性に見えるかもしれません。
しかし、結論から言うと、これらは矛盾するどころか、深く結びついています。 なぜ「掌握の境地」で速さを目指すことが、「正勝吾勝勝速日」の考え方を実践することに繋がるのか、その理由をご説明します。
1.速さは「心と技」が磨かれた結果であり、その「目安」
「掌握の境地」で求められる速さは、単にがむしゃらに急ぐことではありません。それは、
心が落ち着き、迷いがない状態(「吾勝」の要素)
無駄がなく、極めて効率的な技(「正勝」の要素) この二つが非常に高いレベルで実現された**「結果」として、初めて可能になる速さです。 例えば「10秒以内」といった目標時間は、その理想的な心技の状態にどれだけ近づいているかを示す「目安(ベンチマーク)」**として役立ちます。速さを目指す稽古は、自然と心と技を磨く稽古になるのです。
2.速さの追求は、理想へ近づくための「道のり」
「勝速日」が示すような、争いを超越し、自然に、そして瞬時に状況が収まるような境地は、武道の究極的な目標の一つです。しかし、それは簡単に到達できるものではありません。
現実の稽古の中で、この究極の目標に一歩でも近づこうとするならば、必然的に「無駄なく、効率よく、速やかに」動くことを追求することになります。「速さ」を意識した稽古は、この理想を現実のものとするための**具体的な「道のり(プロセス)」**なのです。
3.素早く安全な制圧は、現実における「正しい行い(正勝)」
武道が実際の場面で活かされる時、例えば自分や誰かを守る状況では、相手を不必要に傷つけず、安全に、そして可能な限り素早く状況を収めることが、最も「正しい」解決方法と言えるでしょう。 「掌握の境地」で求められる**「倫理的な配慮(過度な苦痛を与えない)」を伴った素早い制圧は、まさに現実社会における「正しい勝利(正勝)」の具体的なあり方**の一つなのです。
4.速さへの挑戦が、強い「心(吾勝)」を鍛える
素早い判断と行動が求められる状況は、精神的な弱さ(恐怖、焦り、迷い)が表れやすいものです。「速さ」という明確な目標を設定し、それに挑戦し続けることは、プレッシャーの中で冷静さを保ち、決断力を養うための、非常に効果的な**心の訓練(「吾勝」の実践)**となります。
結論:速さと理念は、深く結びついている
このように、「掌握の境地」で速さを目指すことは、「正勝吾勝勝速日」の考え方と矛盾するものではありません。むしろ、その考え方を現実の稽古の中で実践し、心・技・体を一体として成長させるための、合理的で大切なアプローチなのです。 覇天会では、技術の追求と、その根底にある心のあり方や武道の考え方を切り離さず、一体のものとして稽古に取り組んでいます。