【第1部】 実戦合気道の探求――覇天会・藤崎天敬の理念と核心

 

合気道覇天会を主宰する藤崎天敬師範は、現代武道界で独自の地歩を築く武道家の一人である。合気道歴34年、他武道と合わせて十八段の段位を有し、23年にわたる指導経験を持つ。覇天会合気道範士八段として、その技術と理念は、実戦性を重んじる武道を志向する人々から関心を集めている。

 

藤崎師範の武道の礎は、小学二年生で始めた伝統的な合気道にある。ここで武道の礼節、呼吸力の養成、流麗な体捌き(体の移動や転換によって攻撃をかわし、有利な位置を取る動き)の基礎を培った。18歳になると、より実戦的な強さを求め、独自の道を歩み始める。覇天会は、伝統合気道の技術体系を尊重しつつ、現代社会における実用的な強さを追求する場として設立された。藤崎師範は早くから頭角を現し、一部打撃が認められる形式の合気道選手権大会において、19歳、20歳、21歳と三度の優勝。その技は、実戦性を追求する厳しさの中に、合理的な動きに基づく機能美を備えていると評されることがある。

 

覇天会――強さ(覇)から社会貢献(天)へ、そして和合へ

「覇天会」という名称には、藤崎師範の理念が込められている。「覇」は、困難に打ち克ち、自己を確立するための強さを指す。これは単なる腕力ではなく、技術、精神力、判断力が統合された総合的な力である。「天」は、その力を社会貢献といったより高い目標に向ける意志を示す。そして、その道の先にある最終的な目標が「和合」である。力による支配ではなく、確かな実力と武徳をもって争いを収め、調和へと導くこと。これが覇天会の目指す在り方である。

 

実戦合気道の核心――「掌握の境地」

 

藤崎師範は長年の研究と実践を経て、壮年期を迎え「掌握の境地(しょうあくのきょうち)」と「流転(るてん)する立ち関節技」という概念を提唱し、自身の理想とする技術体系を明確化した。これらは覇天会の実戦合気道の中核をなす考え方である。

 

「流転する立ち関節技」は、理想とする技の運用方法を示した言葉である。相手の動きや力の方向性を瞬時に察知し、一つの技から次の技へと淀みなく連携させ、変化していく。通常でも三つ、四つと技が連なり、熟練者は十以上の技を連続して繰り出すこともあるという。これは状況に応じて無限に技が生まれるとされる「武産合気(たけむすあいき)」の思想に通じるとされる。

 

一方、「掌握の境地」は、「流転する立ち関節技」が高度に練られ、実戦において効果的に発揮された際の理想的なコントロール状態を指す。相手のいかなる攻撃に対しても、投げ技、関節技、打撃などを有機的に連動させ、抵抗の隙を与えずに、素早く完全にコントロール下に置くことを目指す。相手を不必要に傷つけることなく、しかし確実に無力化する。

 

留意点として、実戦や試合形式の稽古では、互いが真剣に抵抗するため、泥臭く激しい攻防になることもある。これは効果を最優先する「実戦」の側面である。一方で、藤崎師範の演武では、力強さ、鋭さ、流麗さが表現され、見る者を惹きつける側面もある。覇天会は、「実戦における有効性」と「洗練された技の表現」という両面を追求していると言える。

 

(第1部 了)

 

では、その技術と理念は、どのような実戦の場で検証され、磨かれてきたのだろうか。次章【第2部】では、藤崎天敬の若き日の挑戦から現在に至るまでの歩みを、具体的なエピソードと共に紹介する。

 

【第2部】 実戦合気道の探求――覇天会・藤崎天敬の挑戦と実践

前章【第1部】では、藤崎天敬師範と覇天会の理念、そして彼が提唱する「掌握の境地」という技術の核心について述べた。本章では、その理論がどのような実戦経験を通じて形成され、検証されてきたのか、具体的なエピソードを通して見ていこう。

 

若き日の挑戦――藤崎天敬、実戦経験の軌跡

藤崎師範の武道家としての歩みは、既成概念にとらわれない挑戦と、厳しい稽古の積み重ねによって形作られてきた。その経歴の一部を紹介する。

  • 18歳、異種武道への挑戦と打撃への開眼: 実戦的な合気道を志向し始めた直後、空手の道場にも入門。経験が浅いながらも、入門から約4ヶ月で道場内の優秀新人賞を受賞し、茶帯を取得した。試合では、格上の空手三段の選手に対し、臆することなく突きを顔面に二度ヒットさせるなど健闘したが、相手の強烈なローキックを受け、敗北を喫した。「あの時、痛みと共に、打撃の強さ、そして対応の必要性を学んだ。初めて本物のローキックをくらいました」と藤崎師範は当時を振り返る。この経験は、後の「打撃を捌き、活かす」合気道の技術開発の原点となった。

  • 19歳、初優勝と他流試合での証明: 一部打撃ありの合気道選手権大会にて初優勝。同年、柔道三段の選手と他流試合(打撃なし・寝技なしルール)を行う機会を得る。経験豊富な相手に対し、巧みな体捌きで組み際の圧力を捌き、腕絡みや肘締めといった合気道技を的確に決めた。得意とする絡み回転投げを試みた際には、相手の抵抗を受けて掬い投げで返される場面もあったが、最終的に三度、相手を制することに成功した。試合後、対戦相手は「合気道技は本当に実際に決まるのか」と、その有効性に驚きを示したと伝えられる。この試合は、藤崎師範が合気道の実戦性を他の武道関係者に示した初期の事例の一つとなった。

  • 20歳、二度目の優勝と異流派交流: 合気道選手権大会で二度目の優勝。この年、ある他流派の全国大会3位の実力者と、相手方のルール(手刀打撃と投げ技主体)で手合わせを行った。相手の鋭い手刀による攻撃を冷静に見切り、捌きながら機を窺い、懐に入ると、相手が得意とする投げの攻防から、自身の得意技である絡み回転投げ(相手流派では後ろ腕絡みと呼ばれる技)で相手を投げた。所要時間はおよそ20秒だったという。対戦相手は「後ろ腕絡みって、本当にこんな風に実戦で決まるんですね…」と感想を述べた。藤崎師範は勝敗に関わらず、相手への敬意を示すことを忘れなかったという。また、この頃、覇天会で藤崎師範と合気道乱取りを行った柔道指導員(三段)が、「柔道での一年分の投げより、今日一日で先生に投げられた数の方が多い」とその技の展開力に驚いたというエピソードも残っている。

  • 21歳、三度目の優勝と技術の深化: 合気道選手権大会で三度目の優勝を果たし、同大会での実績を確かなものとした。この時期、相手に抵抗の隙を与えずに制圧する技術が、より顕著に見られるようになったとされる。

  • 26歳、フルコンタクト空手への挑戦: フルコンタクト空手の全日本選手権大会(無差別級)に出場。一回戦の相手は、当時の無差別級全日本チャンピオン(後にワールドカップ8位入賞)であった。藤崎師範は合気道の体捌きを用いて打撃を捌き、踏み込んで有効打を狙うなど、一歩も引かない攻防を展開。本戦は引き分けとなり、延長戦の末に惜しくも敗れたが、アウェイとも言える舞台で、有力選手と互角に近い試合をした経験は、藤崎師範にとって貴重なものとなった。

  • 27歳頃、太極拳家との手合わせ: 実戦的な太極拳で知られる指導者と手合わせをする機会があった。相手が放った二段蹴りを、藤崎師範は最小限の動きで捌き、その勢いを利用して相手の死角に入り込むと、回転しながら腕を捉え、絡み回転投げから隅落としへと繋げ、相手を制した。ごく短時間での決着であり、異なる武術原理が交錯した一例と言える。

  • 28歳頃、「生きた技」の追求: 実戦における対応力を高めるため、空手有段者やプロボクサー経験者などを相手に、本気で攻撃してもらう形式の稽古を重ねた。突きや蹴りなど、様々な打撃に対し、合気道の体捌きで対応し、肘締め、小手返し、隅落とし、絡み回転投げ、腕絡みといった技で制圧する練習を繰り返した。こうした危険を伴う可能性のある稽古を通じて、あらゆる状況に対応できる実践的な技の練度を高めていった。

  • 30歳頃、他流派選手との手合わせ: 他流派の関東大会合気道新人戦優勝者と、合気道技のみのルールで手合わせを行った。相手が技を仕掛けようとする動きを捉え、あるいは仕掛けられた技を利用して、次々に関節技、投げ技、抑え技を繰り出した。相手に反撃の機会をほとんど与えず、約2分間で12回、相手を完全にコントロール下に置いた(ただし、後半は相手の力量と安全に配慮し、加減したとされる)。対戦相手は、「私が言うとまずいかもしれませんが、うちの流派には、先生のように極められる人はいないと思います」と述べたという。藤崎師範は他流派への敬意を払い、「彼の流派の全国レベルの選手は強いと思います。」と語っている。この手合わせは、後に「掌握の境地」と名付けられる状態の具体例を示すものであった。

円熟期へ――進化し続ける合気道(30代後半以降): 藤崎師範の探求はその後も続いている。長年の実績と独自のスタイルが評価され、伝統派空手の組手日本一に4度輝いた花車氏から「藤崎さんは凄かった」と評された。また、空手道剛柔会の形世界チャンピオンである福山氏との交流の中で、その実力の一端を示したことがきっかけとなり、「進撃の合気」と命名された。実戦性の更なる追求のため、30代後半には顔面への手刀打ちを認める独自の「ユニファイド合気道ルール」を考案し、自らもそのルール下での稽古に取り組んでいる。そして40歳を過ぎてからは、「掌握の境地」といった概念を整理・体系化し、自身の目指す合気道の理想形をより明確に示している。このように、藤崎師範は常に自身の武道を問い直し、発展させ続けている。

 

覇天会の現在――多様性を受け入れる稽古環境

 

現在の覇天会には、藤崎師範の指導のもと、様々な経歴を持つ人々が集まっている。プロ格闘家や他武道の高段者、武道未経験者、女性、子供、親子など、その背景は多様である。経験豊富な武道家が覇天会に関心を持つ理由の一つとして、打撃や試合形式の稽古を取り入れている合気道という、比較的珍しいスタイルが挙げられる。また、藤崎師範自身が組手や乱取り稽古を通じて、技の実用性を示していることも大きいだろう。

道場では、多様な参加者を受け入れる環境が整えられている。少年少女部や親子クラスでは、楽しみながら礼儀作法や基本的な動きを学ぶことを重視している。一般部の稽古は、過度に形式張らず、それでいて合気道としての礼儀作法は尊重される雰囲気がある。実戦性を養うための組手(スパーリング)は真剣に行われるが、同時に技を試し、戦略を練るという側面もある。藤崎師範は組手を、将棋やチェスのような戦略性を持つものと捉えている。稽古においては、相手を意図的に負傷させるような行為は厳禁であり、安全への配慮と高いレベルでの技術的攻防の両立を目指している。(ただし、公式な試合においては、当然ながら真剣勝負となる。)

 

踏み出す一歩

藤崎天敬師範が提唱する道は、単なる強さの追求に留まらない。武道において強さは必要不可欠な要素であるとしつつも、その強さは他者を威圧したり、誇示したりするためではなく、他者を活かし、技術を共有し、自身と大切な人を守る(護身)ために用いられるべきであり、最終的には和合へと繋がるものであるべきだと説く。

 

 

もし、心身を鍛え、自己成長を望むのであれば。もし、実戦的な「強さ」とその先にある理念に触れてみたいと考えるなら。 実戦合気道覇天会は、門戸を開いている。ぜひ自身の可能性を探求する一歩を踏み出すことを検討してみてはいかがだろうか。そこには、新しい発見があるかもしれない。