「気」の幻想を断ち、実戦の核心へ――実戦合気道 覇天会 藤崎天敬師範インタビュー
覇天会:実戦合気道の門戸を、老若男女すべての人へ
実戦合気道 覇天会を率いる藤崎天敬師範。合気道の深遠なる可能性を実戦の場で追求し続ける傍ら、少年少女から親子、護身術を求める人々まで、多様なニーズに応えるクラスを展開しています。老若男女、合気道に関心を寄せるすべての人に門戸を開く、その指導哲学に迫ります。
歓迎の言葉と、実戦を志す者が抱くべき認識
「性別、年齢は問いません。合気道に関心があれば、どなたでも歓迎します」。穏やかな口調で語る藤崎師範ですが、実戦合気道を真摯に志す者には、まず解かねばならない誤解があると言います。
合気道と「気」――根強い幻想への警鐘
まず師範が斬り込んだのは、「気で人を飛ばす」という、合気道にまつわる根強い幻想です。「そのような超自然的な力は断じて存在しません」と藤崎師範は断言します。「合気道は、相手の力を利用し、合理的な身体操作と技術で制する、物理法則に基づいた武道です」。
一方で、師範は「気」という概念自体を完全否定するわけではありません。「専門外ではありますが」と断りつつ、「精神統一や呼吸法による心理的な効果、精神安定をもたらす可能性は否定しません。しかし、それが物理的に相手を動かす力とは全く別物であることは、明確に区別すべきです」と強調します。
過去の経験に見る「気」の使われ方
「気を専門とする流派にいた経験はない」としながらも、藤崎師範は過去の体験を振り返ります。「高校時代に在籍した流派では、独特の文脈で『気』が使われていました。例えば、動きの速度を合わせることを『気を合わせる』、技の力のベクトルや勢いを『気の流れ』と表現していました。また、重心が後ろに残ると『気が出ていない』、腕に張りがないと『気が入っていない』など。これらは超自然的な力ではなく、身体操作や意識、具体的な身体感覚と結びついた概念だったように思います」。
曖昧さからの脱却:具体的指導の追求
しかし、その流派では具体的な説明はなく、「ただ『気が出てない』と指摘されるだけだった」と師範は振り返ります。指導者となった今、「重心の後退や腕の張り不足といった複合的な技術的問題点が、『気が出てない』という一言で片付けられていた」と分析します。「これでは生徒は何を改善すべきか分からず、混乱するばかりです。気功のような力なのか、気迫なのか、見当もつかない。覇天会では、こうした曖昧な表現を避け、技術的要点を具体的に、事例を挙げて説明することを徹底しています」。
型稽古における「気体」とは
合気道の稽古段階にも「気」という言葉が登場します。伝統的な型稽古には「固体・柔体・流体・気体」の四段階があり、師範はこれについても解説しました。「固体」はしっかり抵抗する相手への技、「流体」は淀みない流れと調和を重視する稽古。「気体」は最終段階とされ、相手に合わせ、非接触で受けを取るような高度な技も含まれ、奥義として扱われることがあります。
師範は「世界観を共有する者同士の演武なら、『気体』も合気道の表現として尊重されるべき」としつつ、「稽古段階を知らない一般の方の前では、誤解を招かぬよう注意が必要」と釘を刺します。
「触れずに投げる」技のカラクリ
「触れずに投げる」ように見える技にも、物理的な原理があると師範は説明します。「例えば、相手の突きを捌きつつ顎へ掌底を入れる動作(入り身突き)に対し、受け手が危険回避のためスウェーで避けると、バランスを崩して自ら受け身を取ることがあります。繰り返すうちに、師範が手を出すだけで反射的に受け身を取る、パブロフの犬のような状態になることも。これも型稽古の弊害と言えるかもしれません。第三者には非接触に見えますが、接触寸前の攻防があり、超常的な力ではないのです」。
覇天会が目指す、実戦性への意識
覇天会が重視するのは実戦性です。「実戦性に全く関心がない方は、当会の方向性とは異なるかもしれません」と師範は明言します。「少年部や親子部では楽しみながら理合を学びますが、一般部では実戦を想定した打撃・組手稽古も行います。幻想的な合気道像を求める方には、必ずしも適さないでしょう」。
寝技へのスタンス:護身術としての位置づけ
寝技に対するスタンスも合理的です。「合気道は基本的に寝技はありませんが、実戦・護身の観点から無視はできません。専門的な深掘りはしませんが、タックル対処や寝技に持ち込まれた際の基本防御・脱出法は、最低限必要な護身技術として指導します。寝技を極めたい方は、専門道場をお勧めします」。
護身術の限界と、他武道を学ぶ意義
護身術としての合気道を探求する一方で、師範はその限界も認識しています。「一つの武道で全ては網羅できません。『他に学ぶ必要は?』と聞かれれば、『専門性を求めるなら』とお答えします。例えば、武器術なら剣道やスポチャン、寝技なら柔道初段程度の基礎があれば、対応力は格段に上がります」と、他武道を学ぶ意義も示唆します。
他武道との交流:大道塾・東孝先生との邂逅
藤崎師範は他武道との交流も重視します。特に、大道塾空道創始者・東孝先生との出会いは大きな影響を与えたと言います。「東先生から『相手の技を知らねば対応できない。だから実戦合気道も学ぶべきだ』と力説され、深く感銘を受けました。それは、私たちが目指す『実戦合気道』という潮流全体への理解と評価であり、大きな勇気づけとなりました」。
東先生が語った「気」への見解と武道家の姿勢
東先生は「気による格闘技の効能などありえない」と断言されたそうです。気の威力を謳う空手家に傾倒した弟子がいたそうですが、「全く根拠がない」と。さらに、「空手の技に合気道の崩しなどを混ぜ、あたかも『気』の力と誤認させるケースもある」と指摘されたといいます。
また、藤崎師範は東先生の武道家としての姿勢にも感銘を受けたと言います。「大道塾本部で合気道を指導した際、トレーニングルームで熱心に鍛錬されていたのが、なんと東先生ご自身でした。当時60歳を超えておられたと思いますが、そのストイックな姿に心底感銘を受けました」。
実体験が覆す固定観念:大道塾指導員との稽古
実体験が固定観念を覆すこともある、と師範は語ります。「大道塾本部で合気道クラスを担当していた際、参加された熱心な指導員(二段)の方は、当初、合気道を健康体操のように捉え、実用性を疑問視していたそうです。しかし、覇天会メソッドの合気道ルール乱取りで私の技を受け、『全く対応できなかった』ことで認識が一変したと。もちろんルール上、私に利がありましたが、彼の驚きは大きかったようです。その後、熱心に参加してくださったのは嬉しい出来事でした」。
結論:開かれた道場で、多角的な合気道家へ
このエピソードは、実体験と異流派交流が固定観念を打ち破り、相互理解と新たな発見をもたらすことを示しています。「覇天会は、本格的な実戦志向の方から、体力向上、護身術、親子での参加まで、目的やレベルに応じたクラスで、すべての方を歓迎します。多角的で総合的な視野を持つ合気道家を目指す道を応援したい」と師範は語ります。
藤崎天敬師範は、門戸を広く開け放ちながらも、武道の真髄を探求する姿勢を崩しません。実戦合気道 覇天会は、進化を続け、高みを目指す人々と共に歩みを進めています。