合気道覇天会 筆頭師範 藤崎天敬
AIにより「力の濫用リスクや「和合」の多様な解釈も存在する」と指摘
AIが指摘するように、武道を極めて強大な力を得た場合、それを濫用するリスクは確かにあるかもしれません。しかし、私は武道にはそのリスクを抑制しうる重要な教育的側面があると考えています。厳しい肉体的鍛錬や他者との稽古(組手など)を通して、たとえ当初は粗暴な性質であったとしても、精神的な落ち着きや自制心、他者への敬意を学び、力を適切にコントロールする術を身につけられるのではないでしょうか。
もっとも、理想通りにいかない現実があることも事実です。武道を極めた『超一流』と呼ばれる方々に人格者が多い一方で、そこまで到達していない段階の修行者の中には、残念ながら、その力を適切に制御できていないように見受けられる人も、稀に存在するのかもしれません。(私自身もその域には達していないため、他者を安易に判断することはできませんが。)さらに深刻なのは、中には武道の段位や自身の強さを、まるでアクセサリーのように表面的なものと捉え、それを他者への威圧や序列誇示の道具として利用するような人もいるという現実です。
では、なぜ武道の精神に反するような振る舞いをする人が出てしまうのでしょうか。いくつかの要因が考えられます。一因として、若さゆえの有り余るエネルギーや経験の浅さからくる未熟さによって、一時的に道を踏み外してしまうケースもあるでしょう。加えて、武道が目指す人格形成や自己抑制といった深い効果は、付け焼き刃で得られるものではなく、長年にわたる地道な稽古の継続によってはじめて涵養される、という時間的な側面も無視できません。そして、忘れてはならないのは、本人が持つ資質の問題です。指導や鍛錬によっても、矯正したり良い方向へ導いたりすることが極めて困難な、根源的な特性というものも存在する可能性があります。極端な例かもしれませんが、他者への共感や倫理観を内面化することが難しい、いわゆるサイコパス的な傾向を持つ場合など、武道の教育的アプローチが有効に機能しないケースも想定されるでしょう。
結論として、武道の持つ教育的な側面は確かにあるものの、それが効果を発揮するかどうかは、本人の資質や成長段階、取り組みの真剣さ、指導環境、修練の深さや継続期間、そして個人の根源的な特性など、多くの要因に左右されます。したがって、武道を修練することが、必ずしも全ての人にとって人格的な完成を保証するわけではない、という現実は重く受け止める必要があると考えます。
こうした課題認識に基づき、私たちの流派である「覇天会」では、力を得た者が道を誤ることのないよう、具体的な取り組みを行っています。特に、高度な技術と精神性が求められる「掌握の境地」(アブソリュートコントロール)というレベルを設けていますが、これは、合気・関節技・投げ・打撃などを連携させて相手を確実に制圧する高い技術レベルを示すと同時に、相手に過度な苦痛や重傷を与えないという倫理的な配慮が必須とされる状態のことです。この境地においては、「相手を過度に傷つけない」という原則を、単なる技術的な配慮に留めず、守るべき重要な「倫理規定」として明確に位置づけています。これは、力を制御する術と同時に、その力を正しく用いるための倫理観を高い次元で身につけることを目指すものであり、技術の習熟と人間的な成長とが不可分であるという考えを具体化したものです。このように倫理規定を設けることで、「強いけれども粗暴」といった人間が生まれることを、多少なりとも抑制できるのではないかと考えています。ただし、この『掌握の境地』における規定だけで倫理教育が完全であるとは言えません。そのため、他の側面からも倫理的な抑制機能を設けることが重要であり、例えば、日々の稽古でその精神を繰り返し確認する『道場訓』なども、その大切な一つとして位置づけています。
私自身もまだまだ未熟なため、日々内省し、ここで述べた理想に沿えるよう努力していく所存です。
【補足資料1:掌握の境地概論(覇天会合気道)】
覇天会合気道における「掌握の境地」とは、様々な状況下で相手に不必要な苦痛を与えることなく、確実に制圧することを目標とする状態(レベル)を指します。単なる技術の優劣だけでなく、相手への配慮を含む総合的な武道の境地を示すものです。
その達成度や状況に応じて、以下の3つのレベルで捉えられます。
「流転する立ち関節」は、覇天会合気道の中心的な技術体系であり、「掌握の境地」を実現するための重要な要素です。
「掌握の境地」に至るためには、以下の3つの要件を満たすことが求められます。
以上のように、「掌握の境地」は単なる制圧技術のレベルを示すだけでなく、合気道の理念に基づいた倫理観と一体となった概念であることがわかります。
【補足資料2:フルコンタクト合気道 覇天会 道場訓】
一つ、我々は、万有愛護(ばんゆうあいご)の精神を持って、全ての事柄に尽力すること。
一つ、我々は、日々心身を練磨し、実践にて武産合気(たけむすあいき)の実現を目指すこと。
一つ、我々は、「義を見てせざるは勇無きなり」を信条とし、社会貢献に努めること。
一つ、我々は、和合と礼節を武道の基本とし、自己の向上を志すこと。
一つ、我々は、合気の追求を通じて堅忍不抜(けんにんふばつ)の信念を養い、常に覇天会の門人として道の研鑽(けんさん)を怠らざること。
覇天会では、この道場訓を古くから重視しております。