実戦合気道 覇天会:現代に活きる武道の真髄

 

第1部:合気道は実戦で「使える」のか? ― 幻想を断ち、覇天会が示す現実的な答え

 

「合気道は、果たして実戦の場で通用するのだろうか?」 武道や格闘技に関心を寄せる多くの人々が抱くこの根源的な問い。そして、それに付随する「気で人を飛ばす」といった神秘的なイメージ。実戦合気道 覇天会を主宰する藤崎天敬師範は、まずこれらの幻想に明確な一線を画すことから始めます。

 

「気」の幻想への警鐘と合気道の本質 「気で人を飛ばすような超自然的な力は断じて存在しません」と藤崎師範は断言します。「合気道は、相手の力を利用し、合理的な身体操作と技術で制する、物理法則に基づいた武道です」。精神統一や呼吸法による心理的効果は否定しないものの、それが物理的な力とは全く別物であると強調。かつて自身が経験した「気」という言葉の使われ方(身体感覚や意識の比喩)を振り返りつつ、覇天会では曖昧な表現を避け、技術的要点を具体的に説明することを徹底していると語ります。「触れずに投げる」ように見える技も、接触寸前の攻防や受け手の反射的な回避行動によるものであり、超常的な力ではないと解説します。

 

「実戦」の定義が有効性を左右する では、物理法則に基づいた武道として、合気道は「実戦」で使えるのか? 藤崎師範はその問いへの答えは、「実戦」をどう定義するかによって大きく変わると指摘します。 「もし**『実戦』を、予期せぬ襲撃から身を守る『護身術』と捉えるならば、合気道、とりわけ打撃や試合形式を取り入れた『実戦合気道』を深く修めた者は、非常に高いレベルでの実用性を発揮できる**でしょう」 一方で、「実戦」を、定められたルール下で行われる「総合格闘技(MMA)」のような競技と捉えるならば、純粋な合気道の技術がそのまま通用するとは言い難い。総合格闘技には、合気道が本来想定していない技術や戦略が存在するためです。

覇天会が目指すのは、幻想ではない、地に足の着いた「実戦力」。その核心に迫るためには、まず藤崎師範自身の歩んできた道を知る必要があります。

(第2部へ続く)


第2部:伝統への疑問、実戦への渇望 ― 藤崎天敬師範が「組手不要論」と決別した日

 

「かつて、私は『合気道に組手は不要である』と固く信じていました」。小学2年から10年間、伝統派合気道の厳格な型稽古に心血を注ぎ、「組手なくして強くなれる、特別な武道」という特権意識すら抱いていた藤崎師範。しかし、その信念は、ある衝撃的な実体験によって根底から覆されます。

 

路上での挫折:「動かない」合気道 街中で不意に絡まれ、胸ぐらを掴まれた瞬間。「10年間練磨したはずの合気道の技は、指一本動かせなかった。反射的に我が身を守ったのは、わずか3年の稽古の後、数年のブランクがあった柔道の、体に染みついた動きだったのです」。 「型を極めれば、いざという時に体は自然と動く」。師の教えは、予測不能な現実の暴力の前では無力でした。柔道では常に乱取り(自由組手)を通じて生きた相手との実践的な応酬を繰り返していたからこそ、咄嗟の場面で体が動いたのだと痛感します。

 

型稽古と当て身の限界 さらに、テコンドーを習う友人との軽いスパーリングでは、来る日も来る日も反復した合気道の突きや打ち(当て身)が全く通用せず、逆に鋭い蹴りを浴びる始末。「形式的な反復練習だけでは、実戦的な打撃の応酬には対応できない」。本格的な打撃練習の必要性を強く認識します。

「組手は危険」という誤解 当時の合気道界には「組手は危険すぎる」「物理的に不可能」という風潮がありましたが、いざ勇気を出して組手稽古に足を踏み入れてみると、想像していた危険性はなく(一般的な武道・格闘技と同程度)、ごく自然に訓練が行えることに驚きます。先入観がいかに頼りないかを実感しました。

 

「他武道で補完」論の罠 「合気道は型で練り、組手は他の武道で補えばよい」という考え方も、自身の経験から否定します。「柔道経験があっても、合気道の組手がすぐに上手くなるわけではなかった。土俵が違えば、戦い方も変わる。合気道の特性に合わせた組手を行わなければ、合気道の技が使えるようにはならない」。

これらの苦い実体験と先入観の打破があったからこそ、藤崎師範は型稽古中心の伝統的なあり方に疑問を抱き、合気道を真に「使える」ものにするために、実戦的な組手と打撃訓練の導入へと舵を切ることになったのです。「身をもって体験すること。それこそが真実に至る唯一の道であり、揺るぎない信念となっています」。

(第3部へ続く)


第3部:覇天会の稽古体系 ― 実戦力を鍛え上げる合理的なメソッド

 

藤崎師範自身の経験に基づき、実戦での有効性を徹底的に追求する覇天会。その稽古体系は、伝統的な合気道の要素を尊重しつつも、現代の護身術として機能するための合理的なメソッドが組み込まれています。

 

打撃(当て身)の重要性と稽古 「当て身七分、投げ三分」という古の言葉が示すように、打撃は合気道の重要な要素です。現代の護身では、突発的な打撃への対応は必須。「打撃を用いる技術、そして何より相手の打撃を捌く技術は、絶対に必要である」と師範は断言します。 覇天会では、顔面への手刀攻撃を認めた「ユニファイド合気道ルール」を採用し、安全に配慮しつつも、より現実的な攻防を稽古に取り入れています。これは防御反応を磨き、いざという時に対応できる精神力と技術を養うためです。 さらに、蹴り技への対応も重視。防御だけでなく、体捌きと連動させたローキックや膝蹴りなど、合気道の理合に沿った攻撃的な活用も探求します。また、変則的な蹴り技についても、その特性を理解するための稽古を行います。

 

「捌き」と「組手」:実戦への架け橋 打撃への対応力の根幹は、基本的な体捌き(入り身、転換、転身)の徹底的な反復です。これを実際の打撃(突き、蹴り)に応用する稽古を重ねます。 そして、覇天会独自の「打撃 対 合気道の捌き組手」では、打撃側が自由に攻撃し、合気道側がそれを捌き、隙を見て技に繋げる、より実戦に近い形式で対応能力を飛躍的に向上させます。 合気道における「約束組手」(型稽古)は基本を染み込ませる上で重要ですが、「自由組手」こそが予測不能な動きに対応する応用力を養います。「断言しますが、組手に真剣に取り組めば、合気道の上達速度は劇的に変わります。技が『使える』レベルになるまでの時間は、その数分の一に短縮される可能性すらある」と師範は語ります。

 

実戦で活きる合気道技と戦略 藤崎師範が実戦で特に有効だと感じる技は、肘締め、腕絡み、小手返し、三教など。これらは比較的小さな力で相手を効果的に制圧・コントロールできます。 対ストライカー(打撃主体の相手)には、「相手の土俵で勝負しない」ことが鉄則。体捌きで打撃を無力化し、間合いを詰めて投げ技や関節技へ繋げます。倒した後は、即座に固め技で制圧することが有効な戦略となります。 寝技については、専門的な深掘りはしないものの、タックル対処や基本的な防御・脱出法など、護身術として最低限必要な技術は指導します。

 

武道の限界と他武道への敬意 一つの武道で全てを網羅することはできません。専門性を高めるためには、他武道を学ぶ意義も師範は認めます(例:武器術、寝技の基礎)。覇天会は、合気道を核としながらも、多角的な視野を持つことを推奨しています。

(第4部へ続く)


第4部:覇天会の極致と演武への視座 ― 技の深化と表現の可能性

 

実戦性を追求する覇天会の稽古。その先に見据える究極の目標と、それを体現する核心技術とは何か。そして、合気道のもう一つの側面である「演武」について、藤崎師範はどのように捉えているのでしょうか。

 

覇天会の極致:無双制圧と流転する立ち関節 覇天会が最終目標とするのは**「無双制圧(むそうせいあつ)」。いかなる状況下でも相手を絶対的に掌握・制圧する境地です。研ぎ澄まされた合気、洗練された投げ、必倒の打撃の三要素が融合し、10秒あるいは30秒以内といった迅速かつ確実な制圧を目指します。 その中核を成すのが妙技「流転する立ち関節(るてんするたちかんせつ)」**。「万物は流転する」という理に基づき、相手の動きに瞬時に適応し、水流のように淀みなく複数の関節技を連動させ、相手を崩壊・制圧へと導く変幻自在の立ち技関節術です。これは無限の技を生み出す「武産合気(たけむすあいき)」の思想を具現化したものであり、覇天会の神髄を示す核心技術です。重要なのは、この「流転する立ち関節」が、必ず「無双制圧」という結果に結びつくことであると師範は強調します。

 

演武の功罪:魅せる技の光と影 実戦性を重視する一方で、藤崎師範は合気道の「演武」が持つ価値も認めています。「真に優れた演武には、心を鷲掴みにする力がある。さながらアルコール度数の高い上質な蒸留酒のよう」と表現し、一流の師範の演武からは常に感銘と学びを得ると語ります。 しかし、その魅力には危うさも孕んでいると警鐘を鳴らします。「その芳醇さに酔いしれ、本質を見失えば、痛い二日酔いを招きかねない」。演武の「演」じる側面が肥大化し、実戦という根幹から乖離したショーパフォーマンスと化しているケースが散見されることを危惧しています。「演武に実戦での有効性は基本的にない」と言い切り、決められた手順で行われる演武と、予測不能な実戦とは全く次元が異なると強調します。

 

現代演武への期待:多様性の復権 近年の演武が画一化している傾向に対し、師範は「もっと自由で、多様な表現が許される場であるべき」と強く感じています。かつて存在したような、指導者それぞれの個性――卓越したキレ、流れるような柔らかさ、気を前面に出した表現、芸術性、重厚さ、鋭い当て身、華麗な捌き――が色濃く反映された演武の復権を望んでいます。「基本を踏まえつつも、決して萎縮せず、ご自身の信じる合気道観を自信を持って演武に投影し、新たな可能性を切り拓いていってほしい」と、特に若手指導者への期待を語ります。

「演武の光と影、そして約束組手(基礎)と自由組手(応用)の意義と限界を正しく認識すること。そして演武が持つ『表現』としての可能性を信じ、個々の合気道を恐れることなく体現していくこと。それが、現代における合気道、そして演武がさらに進化していくための鍵となるでしょう」。

 

第5部:実戦合気道と現代格闘技 ― MMAへの視点、異種交流、そして強さの証明

 

実戦合気道は、他の武道や現代格闘技、特に隆盛を極める総合格闘技(MMA)とどのように向き合うべきか。藤崎師範が、他流派への敬意、異種交流の意義、そして自身の揺るぎない実力について語ります。

総合格闘技(MMA)への敬意と位相の違い 「MMAの進化と競技レベルの向上には目覚ましいものがあり、トップファイターには深い敬意を抱いています」と語る師範。しかし、護身術としての合気道とは目指す頂や哲学が異なり、「位相が異なる」と認識しています。MMAは競技スポーツであり、合気道は生涯を通じた心身の鍛錬と護身の理合の追求を本義とします。 MMAのルール、特に寝技無制限ルールは、路上での護身という観点からは懸念があり、覇天会では固め技の稽古時間を10秒に制限するなど、実戦的な状況変化への対応を重視しています。「武道には武道の、MMAにはMMAの固有の価値と文脈があり、互いの領域を理解し尊重し合う姿勢が重要」と結論づけます。

 

合気道家のMMA挑戦と「達人」の虚像 他派の先駆者がMMAに挑戦し実績を残したことを評価しつつも、合気道技がそのまま通用するわけではなく、MMAへの徹底的なアジャストメントが必要だと指摘します。そして、現在の最優先課題は、実戦・競技合気道の認知度向上と競技人口拡大であり、強固な基盤があってこそ他ジャンルへの挑戦が意味を持つと考えます。 一方で、合気道の試合経験がない人物を「達人」と祭り上げ、MMAに出場させるような風潮には「極めて深刻な問題」と強い懸念を示します。これは武道の尊厳を損ない、「合気道は使えない」という誤った認識を広め、真摯な実践者の努力を傷つける行為だと批判します。「真の達人とは、自らの力量と限界を客観的に認識し、適切な場を見極める見識を持つもの」であり、合気道界自身もこのような安易な消費に異を唱えるべきだと主張します。

 

異種交流の重要性:大道塾・東孝先生との邂逅 藤崎師範は他武道との交流を重視し、特に大道塾空道創始者・東孝先生との出会いに大きな影響を受けました。「『相手の技を知らねば対応できない。だから実戦合気道も学ぶべきだ』と力説され、深く感銘を受けました」。これは実戦合気道全体への理解と評価であり、大きな勇気づけとなったと言います。 また、東先生が「気による格闘技の効能などありえない」と断言し、空手の技と合気道の崩しを混ぜて「気」の力と誤認させるケースを指摘したことや、60歳を超えてもストイックに鍛錬する姿にも感銘を受けました。 大道塾指導員が、当初疑問視していた覇天会の合気道を実体験し、認識が一変したエピソードも、異流派交流が固定観念を打ち破ることを示しています。

 

揺るぎない実力:「ヤラセ」疑惑への回答と実績 「藤崎さんはいつも動画で相手を圧倒している。本当にそんなに技が決まるのか? まさか、ヤラセでは?」 YouTubeで見せる圧倒的な技に対し、時折このような疑問が寄せられます。

 

これに対し、藤崎師範は明確に答えます。「組手や試合においては、常に真剣勝負です」。動画で「演武」「デモンストレーション」「アクション」と明記しているもの以外、一切の虚飾はないと断言します。その言葉は、合気道選手権優勝3回、武道格闘技計十八段という揺るぎない実績と、32年という鍛錬の歳月に裏打ちされています。

 

若き日は「相手に加減をするのは失礼」という教えを愚直に守り、全力でぶつかるあまり摩擦を生むこともありましたが、経験を重ねる中で、相手のレベルを見極め、導くことの重要性を学びました。現在の指導では、その円熟した視点が活かされています。

 

しかし、その実力は客観的な事実としても示されています。18歳で実戦合気道の世界に入り、最初の1~2年は先輩方に敗北することもありましたが、驚異的なスピードで成長。19歳で初優勝を遂げ、20歳を過ぎる頃からはほとんど負けを知りません。「練習での一本負けに至っては、まるで遠い過去の記憶のように、ここ20年ほど経験がない」と言います。技ありを取られた記憶もなく、有効ポイントは数えるほど。効果ポイントも大会優勝者クラスに数年に一度取られる程度ですが、その度に必ず一本を3回は取り返してきたという事実は、その圧倒的な実力を物語っています。

 

具体的なエピソードが示す実力 その実力を示す逸話には枚挙にいとまがありません。

  • 柔道三段指導員の声: 合気道ルールでの稽古後、柔道三段で吉田道場の指導員を務める人物は驚嘆しました。「柔道で1年間に取られる一本の数より、藤崎先生から1回の稽古で取られる回数の方が多い。私は普段そんなにポイントを取られないんですけどね…
  • 10秒の制圧: 交流のあるスポーツチャンバラ世界チャンピオン河原先生が「スポチャン関東大会レベルなら10秒で決着できる」と言うように、藤崎師範も「合気道ルールであれば、覇天会の頂点に立つ者を除き、本気を出せば10秒以内に立ち関節技で沈黙させることができる」と静かに語ります。覇天会の王者クラスでも30秒から1分で制圧可能だと冷静に分析します。
  • 関東新人王との手合わせ: 全盛期の30歳頃、他流の合気道関東大会新人戦を制した若き才能が、藤崎師範の組手を見て「本当にあのように技が決まるのか」と疑問を抱いた際、乱取りで応えました。結果は「2分間で12回もの一本勝ち」。小手返し、肘締め、腕絡み…変幻自在の技が関東の覇者を圧倒しました。同席した覇天会三段(当時)がその大学生に有効3回だったことからも、藤崎師範の攻撃力の突出ぶりがうかがえます。衝撃を受けた大学生は「うちの流派には、先生のように技を極められる人は、おそらくいないでしょう」と吐露したと言います。

認め合う強者:齋藤賢介三段との関係 絶対的な強者である藤崎師範ですが、自身以外の実力者として覇天会の齋藤賢介三段(フルコンタクト合気道選手権大会優勝2回など)を挙げ、「私以外で、相当に強い」と認めます。彼との対峙は「3分の激闘を覚悟させる」と言い、自身の立ち関節技は齋藤三段の3倍の技量があると分析しつつも、総当たり組手での一本勝ち(藤崎師範8回、齋藤三段3回)という事実に基づき、「10回対戦すれば8回は自身が勝利するだろう」と語ります。しかし、「自身の調子が最高であれば3分以内に3回は立ち関節技で一本勝ちできる自信がある一方、調子が万全でなく齋藤三段の調子が良ければ、投げ技で効果を取られて判定負けを喫する可能性も視野に入れている」と、具体的なシナリオを描きながら冷静に分析。齋藤三段のフィジカルとポテンシャルを高く評価しつつ、顔面ありルールへの経験不足を課題として指摘します。

 

異種格闘技の頂点との交流:花車勇武先生との敬意 伝統空手日本一の花車勇武先生との空手組手で圧倒できなかった理由を問われ、「花車先生が空手の頂点を極めた実力者であり、土俵(ルール)も専門も全く異なるから」と率直に答えます。しかし、交流の中で行われた**合気道の乱取りでは、花車先生から「本当に凄かった」と敬意を込めた言葉を受けたと明かします。**勝敗という二元論を超越した、異なる武道の頂点を極めた者同士の魂の共鳴がそこにはありました。

 

藤崎師範は、これらのエピソードを単なる強さの誇示ではなく、実戦合気道の技術体系の有効性を示す具体例として、また、武道の探求における客観的な自己分析として語ります。

 

最終部:武道の探求者、藤崎天敬 ― 円熟期から次世代へ、そして覇天会への誘い

 

藤崎天敬。その名は、単なる合気道家という一言では語り尽くせない。数々の武道を深く探求し、その奥義を体現してきた、真の武道の求道者。彼の言葉は、表層的な強さの誇示ではなく、武道に対する真摯な姿勢、そして武道家としての魂の叫びです。

 

進化する武道観:全力から指導、そして未来へ 中学時代の柔道部での「常に全力」という教えを胸に、若き日は愚直なまでに情熱を燃やしましたが、経験を重ねる中で、真の強さとは相手を導き、共に武道を楽しむ心を育むことだと悟りました。初心者への丁寧な指導や、相手の力量に合わせた加減も、武道の魅力を伝え、共に高みを目指す上で不可欠な要素だと深く理解しています。 全盛期から円熟期へと移行している今、藤崎師範は、未来の覇権を担うであろう「圧倒的強者の後輩の誕生を心待ちにしています」と、力強い眼差しで次世代への期待を語ります。

 

覇天会:すべての人に開かれた実戦合気道の門 覇天会が追求するのは、幻想ではない、地に足の着いた実戦力です。しかし、その門戸は、性別、年齢、経験を問わず、合気道に関心を寄せるすべての人に開かれています。 本格的な実戦志向の方から、体力向上、護身術、親子での参加まで、目的やレベルに応じたクラスを用意。少年部や親子部では楽しみながら理合を学び、一般部では実戦を想定した打撃・組手稽古も行います。

 

あなたも、覇天会で武道の真髄に触れてみませんか? 稽古を通して得られるものは、単なる体力向上や技術習得に留まりません。礼節を重んじ、他者を尊重する精神性。そして何よりも、実戦合気道が提供する、高度な打撃への対応力と多彩かつ戦略的な立ち関節技に裏打ちされた、確かな護身術。武道の持つ奥深さと、競技としての知的な面白さ、そして「いざ」という時に自身を守る力を、同時に追求できるのです。

伝統的な合気道の精神性を尊重しながら、実戦的な組手にも真摯に取り組む覇天会。合気道の新たな可能性に触れたい方、本当に役立つ護身術を身につけたい方、そして武道の真髄に迫りたいと願う方。

少しでも興味を持たれた方は、ぜひ一度、覇天会の道場の門を叩いてみてください。合気道という武道が持つ無限の可能性と、稽古を通じて成長していくご自身の変化を、きっと実感していただけるはずです。

実戦合気道 覇天会は、あなたの参加を心よりお待ちしています。